(2015/12 取材)
長南 その後はサイバーエージェントに移られていますよね。地方の老舗で成熟している会社とは真逆の会社に飛び込んだ理由は何ですか。
和田 一つは、一番の成長領域になっているインターネット関連のドメインに自分もフォーカスする必要を感じたこと。もう一つは、フューチャーベンチャーキャピタルでプロジェクトを色々やらせてもらって、もっと事業の経験を積みたいと思ったこと。事業会社でインターネットにフォーカスできる、という条件が、たまたまサイバーエージェントと合ったんです。それから、ちょうどVCを立ち上げる場面で、僕が貢献できるイメージもありました。
長南 2006年に移られて、いわゆる投資業務をやられていた、と。いらっしゃったのは1年くらいですか。
和田 1年3ヶ月ですね。当時はmixiやドリコムなどのIPOで社内外が盛り上がっていたタイミングでした。
長南 金額で言うと、一件当たりいくらくらい出されていましたか。
和田 金額は数千万円前後が多かったです。サイバーエージェントの各事業やグループ会社の関係性の中から優良な投資機会を見つけ出し、成長の加速を担うようなやり方でした。
長南 それは、売上を上げるところも含めてですか。
和田 そうですね。
長南 この頃、海外ファンドの設立にも関わっていましたよね。
和田 はい。海外投資は中国向けのファンドから始まっているのですが、その1個目のファンドを作るタイミングが僕が入社して3ヶ月目でした。
長南 和田さんがサイバーエージェントにいらっしゃったことは、あまり知られていないですよね。結構楽しそうで経験も積めそうな時期だったと思いますが、どうして1年で辞めて独立されたのでしょうか。
和田 数々の事業を経験していた西條さん(西條晋一氏、株式会社WiL 共同創業者兼ジェネラルパートナー、元 株式会社サイバーエージェント 専務取締役COO)が当時のボスだったのですが、彼と接しているうちに、「投資家であっても、自分で経営したことがないとだめだ」と強く意識するようになりまして。自分で会社を興すならこんな事業をやりたいな、と色々悩み考えた結果、自分でファンドを運用することにしました。フルタイムの起業家とはもちろん違いますけど、独立して0→1のプロセスを同時に複数、起業家と挑戦することにしたんです。サイバーエージェントは振り返ってもすごく良い会社で、不満があったわけでは全くないです。
長南 実際に独立してみてどうでしたか。
和田 独立してファンドを預かってからも投資すること自体に変わりはありませんが、自由度を活かしてファンド主導でゲーム会社を設立するなど、ただの投資というよりは、起業に近いような極端なスタイルもやりました。とても大変でした(笑)
長南 それは面白いですね。2007年はリーマン・ショックの前で、市場が過熱して上がりきってピークアウトするかな、というくらいの時期だったと思いますが、資金調達の環境はどのような感じでしたか。
和田 昨今の調達環境の方が随分良いと思いますが、当時は収益化できているミドル・レイターステージを中心に活発で、環境としてはそこそこ良かった感じではないでしょうか。ただ、現在に比べると、シード・アーリーステージの投資家が極端に少なかったかもしれません。僕は3億円のファンドでしたが、シード・アーリーステージを中心に投資していました。先ほどのゲーム会社の場合だと、2007年に会社を立ち上げ、翌年4月に本格的に経営チームをつくり、その後リーマンショック、という流れです。黒字化しないと資金調達なんて到底難しい、という前提で元々考えていたので、コストを抑えながら売上をつくるのに各社必死でした。
長南 投資の直後にリーマンショックが来たんですね。ファンドのパフォーマンスはどうでしたか。
和田 成績としてはIRRが37〜38%で、まぁ良かったと思っています。
長南 すごいですね。確かに、ソーシャルゲームを中心に、ガラケーやスマホ関連でドッと行った時でしたね。投資期間は2〜3年くらいですか。
和田 そうですね。僕の場合は通常より短めなのですが、7年でファンドを終えました。
長南 仮にですが、もしファンドが10億円や100億円になったら、パフォーマンスはどのように変わるイメージですか。
和田 どうしても過去のパフォーマンスが基準になって、やる以上はそれを超えたい、と常々思っています。基本的にはファンド規模が大きくなるとパフォーマンスを上げていくのは困難だとされていて、統計データの裏付けもあるのですが、それを反証すべく、どうやって過去のトラックレコードを超えるかは考えなくてはいけないです。