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INTERVIEWS WITH INVESTORS

(2015/12 取材)

投資家インタビュー Vol.11前編 インキュベイトファンド和田圭祐氏 投資家インタビュー Vol.11前編 インキュベイトファンド和田圭祐氏

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《 INTRODUCTION 》

もの静かで、敢えて奇をてらったり、目立つことを良しとしない印象を受けるインキュベイトファンドのゼネラルパートナーである和田氏。「起業家のためになることとは何か?」「VC業界全体を盛り上げるためにはどうすれば良いか?」を考えて始められたIncubate Campは、和田氏ならではの取り組みだと思います。ベンチャー企業の選別方法や今の起業家をどう見ているのかについて、聞かせていただければと思います。

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学生団体での経験から、VCの道へ

投資家インタビュー Vol.11 インキュベイトファンド和田圭祐氏 学生団体での経験から、VCの道へ

長南 和田さんは大学を卒業してすぐにベンチャーキャピタリストになられましたよね。なぜ新卒でいきなりベンチャーキャピタリストという職業を選んだのか、その想いの部分を教えていただけますか。

和田 僕は元々AIESEC(NPO法人アイセック・ジャパン)という意識高めな学生団体に所属していて、学生時代から社会人や起業家と関わる機会があったんです。そこで起業家と仕事ができたら楽しいだろうな、と思い始めたのがきっかけかもしれません。

長南 AIESECではどのような活動をされていましたか。

和田 本来はインターンシップを運営している団体なのですが、僕の場合は少し違って、着物を作って売ってみたり、説明しづらいことばかりしていました(笑)

長南 AIESECに入ったきっかけは何だったのでしょうか。

和田 当時の自分の常識の枠を超えた個性的な先輩が多くいたんです。着物のプロジェクトのリーダーだった人が面白くて、いつの間にか入っていました。

長南 「変わっている」って色々とあると思うのですが、具体的にどういう感じでしょうか(笑)

和田 とても説明するのが難しいのですが、例えば、彼の人生をかけた主張の一つに、元来人間は色々な仕事を30個くらいパラレルにすべきだという説があり、最近でもFacebookを見るたびに、彼自身が床を貼ったり、農家を手伝ったり、毎日やっていることが違うんです。伊藤洋志さんっていう、京大の1つ上の先輩なんですけど、今も『ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方』っていう本を出していたりします。

長南 その方が和田さんの人生に大きな影響を与えたとして、キャピタリストになったのは、その人の影響が大きかったのでしょうか。

和田 いや、それはないですね(笑)自分の描いている理想を掲げて挑戦する姿勢など、確かに彼から多くの影響を受けましたが、僕は彼のようなユニークな生き方よりも、会社や事業を創る起業家に明確に興味を持ちました。ただ、ある意味世の中を俯瞰的に見て、常識にとらわれない視点で考え、実現に身を捧げる革命精神のようなものは影響されているかもしれません。

事業プロジェクトをやりながら、投資の仕事を相対化

長南 新卒でフューチャーベンチャーキャピタルに入社されていますが、オフィスは京都ですよね。今でこそ東京が仕事の拠点になっていますが、最初から東京の会社に就職して来ようとは考えなかったのですか。

和田 意図的に東京を避けたわけではありませんが、独立系のVCで新卒採用をしているところが当時は少なくて。あとは、基本的に小さい方が良かったので、ファンドのマネジメント業務全般を見れるところを探していました。

長南 フューチャーベンチャーキャピタルは技術に強かったようなイメージがあります。

和田 そうですね。今振り返ると、地方の優良経営者の成長を支援するんだっていう高い志に深くコミットしていて、地方に徹底的に力を入れた結果、投資支援の哲学が明確で、独自色も強かったですね。地方自治体や地銀との連携に積極的なVCでした。

長南 就職するならVCだと、最初から業界は一本に絞っていましたか。例えば、銀行の融資など、起業家と係わる選択肢は他にもあり得ると思うのですが。

和田 いつかはVCのようなことをやりたいな、と漠然とは思っていました。もしかしたら銀行でも良かったのかもしれませんが、投資の方が「起業家と一緒になって奮闘する」という自分の理想のイメージに近かったんでしょうね。

長南 当時、同じ大学でVCに就職した方はいましたか。

和田 今でこそ少しずつ出てきた気はしますが、10年くらい前にVCに行く人は中々いなかったです。僕の周りでは誰もいなかったので、完全に自分一人で浮いていました。業界の同期も少なくて、大手を含めて業界全体で20人強くらいだったようですが、フューチャーベンチャーキャピタルの新卒入社は当時僕一人でかなり孤独でした。

長南 その頃は、プロジェクトファイナンスやターンアラウンドもやられていたと思いますが、純粋にベンチャー投資だけをやっているわけではなかったのでしょうか。

和田 そうですね。当時はファンドの投資余力の都合で新規投資が活発でない時期で、自由度高くベンチャー投資をやる機会は限られていましたが、事業会社との二人組合を企画から組成するようなところから経験することができました。部署の先輩たちも、投資部員として活動しながら同時並行で会社の売上をつくるプロジェクトをやっていて。例えば、匿名組合を作る際の管理業務とか、IPO支援の管理体制作りのコンサルティングとか、そういう仕事も含めて修行させてもらいました。

長南 あまり思い描いていた仕事ではなかった、ということですか。

和田 ある意味そうでしたが、色々なプロジェクトをやりながらベンチャー投資の仕事を相対化して見られたことは、とても良かったです。ただお金を出すだけのVCを目指していたわけでもないので。

長南 投資に関して、今の和田さんのようなベンチャー投資のプロ集団的な動きか、サラリーマン的な動きかで言うと、どちらに近いですか。

和田 プロ集団という言葉の捉え方は色々ありそうですが、地方の経営者に対してエクイティの相談に乗っていき、ベッタリ信頼関係をつくっていくスタイルでした。地方の企業経営者の皆さん、基本的に株に関して警戒心がすごく強かったりするので。

長南 地方も多いですけれど、東京にもいますよね。老舗の方とかお金持ちとか。

和田 外部からの資金調達を、悪とは言わないまでも、ものすごく距離を置いて考える経営者の人と話をしなくてはいけないので、地方自治体や銀行との連携を軸にしていました。投資の仕事はその延長というパターンも多く、今盛り上がっているIT系のスタートアップとは全く違う雰囲気でしたね。

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