(2015/10 取材)
長南 30歳ぐらいからって、どのような仕事をされていたのですか。
松本 さっき話した、長く続く会社がいいなぁとか、エンタメ系は叩かれるなぁって考えていた時、仕事で地方を回っていることが多くて、電車が遅れると飛行機の乗り継ぎができない、というのが結構ありました。その時、交通の検索サービスやリアルタイムの運行情報ってパブリックなサービスにできたら便利だよね、公共インフラのサービスだったら潰れないだろうって思いました。便利だと思うユーザーが多くて潰れない公共サービスだったら、会社は長く続くはずだよね、じゃあこれをやろう、と。
長南 それで時刻表情報サービスですか。あれは誰かチームでやられてたいたのでしょうか。
松本 それは元JRの方と、その時のJR東日本と推進しました。
長南 松本さんが社長で。
松本 社長でした。
長南 そこが社長になった唯一ですか。
松本 そうですね。
長南 それは上手くいったのでしょうか。最終的には事業を売却したのか、株式を売却したのか。
松本 今もあります。株は元々持てなかった。JR東日本グループが資本参画した段階で、個人が株式を保有するというのはできないとの結論に至りました。
長南 その頃は株にそこまで興味はなかったのですか。
松本 いや、欲しいって言いましたよ。でも、「ダメだ!」みたいな。だからまぁ、「長くはいないかもわかりません」と。1998年から社長をやって、2003年までですね。5年はしっかりやって黒字化もして。今はJR東日本企画っていうところの100%子会社になっています。
長南 『駅すぱあと』とかの走りですかね。
松本 あれはどちらかと言うとロジック計算じゃないですか。最初はそれも目指しましたが、私たちは鉄道各社が使っているネットワークから情報を取得して、テキストファイルを生成して出していく。運行情報と基本的に連動していて、フォーマットが上書きされていく。
長南 時刻通り運行されている日本でしか使われなさそうですね。
松本 そうですね。ちゃんと時間通り電車が来るのは日本だけですから。
長南 その発想は松本さんのアイデアだったと。
松本 その頃、JR東日本さんでも中央線がよく止まっていました。彼らが乗客の人に思っていたのが、「駅に来ないでくれ」ということでした。駅にお客様が殺到して「なぜ動いていないのか」って物を壊したり、駅員がけがをしたり、お客様同士て揉めたりと、それが事前に分かったら「じゃあもう1杯飲んでいこうか」「バスで帰ろう!」っていうのが実現できるのか、みたいなイメージでした。ちょうどその時にiモードも発表されていたので、これは絶対にいける、と。
長南 ガラケーのサービスから始まっていたのですか。
松本 ガラケーからです。運行情報っていうか鉄道系の情報だったらダントツ1位でしたよ。だから目的は達成しました。パブリック・インフォメーションは絶対長く続くだろう、という仮説は合っていました。唯一間違えたのは自分の資本政策だった、みたいな。でもそれは仕方がなかったですね。
長南 この辺から個人の資産はプラスになってきたのでしょうか。
松本 かなりプラスになりましたね(苦笑)
長南 株式がなかった反面、役員報酬は結構貰えていたのですよね。
松本 はい。十分に頂きました。その時にちょうどサイバード社が上場して、上場益の考え方とかを教わりました。具体的には市場から資金を調達するってどういうことだ、と。それまでだったら一生懸命事業計画作って、色んなところ、金融機関は当然アプローチし、お金持ちの方のようなところにお願いに行くじゃないですか。その会う担当が審査でNOと言ったら、もういきなり0の話になるのですよ。でも市場調達って10億円集めようとしたら、そのまま10億円は集まらなかったとしても、2億円ぐらいは集まったりするじゃないですか。そんな仕組みがあるのかと!
長南 真田さんのサイバードの上場で、資本市場っていうものを知った、と。そのJRの時刻表の時は、最初から株を一応欲しいとは思っていたけど、上場までは考えていなかったのですか。
松本 それはそこまで思考が及んでいませんでした。自分の会社を作りたい、かつ長く続くサービスを持っていれば会社は潰れないはずだっていう。反面教師的な考え方ですよね。20代前半の、潰れない会社のロジックが作れるかどうかっていう壮大な実験をしていた感じです。また、時刻表情報サービスでは会計監査と労務監査を体験しました。JR東日本は労務監査にはものすごく厳格な監査が行われます。労働組合が極めて力を持っていた歴史があるからだと思います。で、監査ってこういうものなのかっていうのを受ける側で体験して、今度はする側からマニュアルを吸収しに行きました。する側が分かれば、される側はどうしたらいいか分かるじゃないですか。なので、IPOした後は継続して監査対応していかなければならないです!って言われても、何のストレスもなく「当たり前やん、そんなの」と。
長南 そこで初めてサラリーマン社会の常識的な部分というか、大人の世界と出会ったのですね。
松本 そうです、大人の世界。20代後半ですね、28〜9歳の時。