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INTERVIEWS WITH INVESTORS

(2016年 取材)

投資家インタビュー Vol.12前編 ジェネシア・ベンチャーズ田島聡一氏 投資家インタビュー Vol.12前編 ジェネシア・ベンチャーズ田島聡一氏

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《 INTRODUCTION 》

強面で他を寄せ付けない雰囲気を醸し出す、ジェネシア・ベンチャーズを立ち上げた田島聡一氏。都市銀行を経て、サイバーエージェントで投資事業を本格的に始動。ベンチャー投資を積極的に行う一方、業界全体のためにとベンチャー企業によるプレゼンと資金調達のきっかけの場であるRISING EXPOなどの立ち上げを行ったりと、起業家のためになることをひたすら考えるサムライ・キャピタリストの真髄を探れればと思います。

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新卒でメガバンクに。世の中にどのような経営者、ビジネスが存在するのかを知りたかった

投資家インタビュー Vol.12 ジェネシア・ベンチャーズ田島聡一氏 新卒でメガバンクに。世の中にどのような経営者、ビジネスが存在するのかを知りたかった

長南 ご無沙汰しております。覚えていらっしゃるか分かりませんが、きちんとというか個人的に?お話させていただくのは、サイバーエージェント・ベンチャーズが新宿にオフィスを構えていた時にオフィスに伺った時以来かもしれませんね。

田島 本当に久しぶりにお会いするので、僕はむしろ長南さんがいま何をされているのかが気になるんですけれど。確かフロリダでしたっけ、アメリカに行かれてから近況を全くお聞きしなくなって、てっきり何かあって日本を脱出されたのかと思っていました(笑)。監査法人とか会計士とか、勝手ながらそういった堅苦しいイメージからは程遠い印象が当時から強かったですけれど、どうして監査法人を辞められたのですか(笑)

長南 いきなりの逆質問(汗)

田島 すみません、今日は僕がインタビューされる側でしたね(笑)

長南 一見ですが、強面キャピタリストの一角を占めるという田島さんがどのような人なのかを探るインタビューです(笑)田島さんは元々メガバンクにいらっしゃって、そこからサイバーエージェント・ベンチャーズ(CAV)に移ってベンチャーキャピタリストを経験し、独立系ベンチャーキャピタルであるジェネシア・ベンチャーズを立ち上げられた訳ですよね。そこに至るプロセスというか、これまでの経歴をお教えいただけますか。

田島 新卒でさくら銀行(現在の三井住友銀行)に入りました。就職先に銀行を選んだ理由は、銀行員が若くして経営層レベルの人に会える仕事だという理由からでした。銀行に融資の相談をする時、銀行の担当者が新人だろうとベテランだろうと、たいていの場合はその会社の経営層レベルの人に対応していただけますよね。銀行員の経験を通して、世の中にはどのような経営者がいて、どのようなビジネス(モデル)が存在するのかを少しでも現場に近いところで理解出来ると良いなと感じ、大学3年くらいの時からぼんやりと、銀行に就職しようと考えていました。

正直なところ、大学生の頃はベンチャーキャピタリストという職業は知らなかったですね。そもそも大学の専攻が工学部だったこともあり、同級生は重機械系とか、自動車メーカーとか、そういう進路が殆どだったこともありますが。

長南 私も会計士になったのは何となく偉そうな人に会えそうだなと思っていたので分かるのですが、色々な経営者と出会えるところに惹かれた、と。それはどうしてでしょうか。

田島 元々経営者に憧れがあったのだと思います。だから、会社の意思決定を担っている人と若くして一緒に仕事をさせていただくのは、自分にとって間違いなくプラスになると考えたのだと思います。自分の実家は決して裕福な家庭ではなかったので、お金には苦労したくない、という気持ちが強かったことも、もしかするとあるかもしれないですね。振り返ってみると、小さい頃から、割と目線を高く持つ子供だった気がします。

長南 さくら銀行ではどのような仕事をされていましたか。私の大学の同期などは就職戦線を勝ち残り、やっとの思いでメガバンクに入って、企業のために汗水垂らして頑張るぞと張り切っていました。ところが、実際には自転車で個人の預金をかき集めることが主たる業務で、それが嫌になり辞めて、外資系の金融機関に転職した人もいました。田島さんはどのような新人ライフでしたか?

田島 1997年4月に入行してから約8年間、銀行員として勤務しました。最初の配属は大阪の淀屋橋で、もちろん窓口業務もやりましたけれど、主に住宅ローンや融資の相談などをやらせていただいていました。お客さまは弁護士事務所から大企業まで、幅広く担当させていただいていましたね。

長南 大企業も担当されていたということは、いわゆるエリート路線に乗っていたんですかね。順風満帆な銀行員ライフだったのでしょうか?

田島 いえ、残念ながら全くエリート路線ではなく、入行して2年間くらいは銀行の雰囲気やルールになかなか馴染めず、本当にダメな銀行員でした(笑)。

入行店では、OJTの一環で窓口業務やカードローンの営業など一通りの銀行業務をやるのですが、自分は元々大きなお金を動かす仕事、例えば大型のM&Aやプロジェクト・ファイナンスなどに携わってみたいという気持ちが強かったこともあり、目の前の仕事になかなか本気で取り組めずにいる自分がいました。今振り返ると、考え方が本当に未熟だったなと反省するのですが、本当に生意気で仕事ができない問題児だったと思います。窓口業務をさせればミスを連発するし、カードローンの営業をさせれば営業成績は振るわない、と散々でした(笑)。

そんなこんなで社会人として腐りきっている時に、副支店長に呼ばれまして。その時に言われた言葉は今でも覚えているのですが、「M&Aやプロジェクト・ファイナンスも1枚の伝票を起票するところから始まるんだ。目の前の小さな仕事もまともにこなせないやつに、(M&Aやプロジェクト・ファイナンスのような)大きな仕事が任せられる訳ないだろ!」とひどく怒鳴られまして。「なるほど、確かにそうだよな」と、とても腹落ちしたのを覚えています。

でも、時はすでに遅しで、次の転勤では予想通り、とある地方の住宅店舗に転勤になりました。入行店が名門店だっただけに、銀行員のキャリアとしては相当な都落ちでした(笑)でも、次の支店からは小さなこと、当たり前のことを間違えずにしっかりやる、という仕事のスタイルをしっかり固められ、営業成績も常に上位をキープできるようになったので、比較的順風満帆な銀行員生活だったと思います。

ただ、ちょうどその頃にバブルが崩壊したんですね。不良債権問題による公的資金の受入れがあったり、住友銀行との経営統合でいわゆる「たすきがけ人事」になったりで、本当にバタバタしていたのを覚えています。

そのような状況下、経営改善化計画に沿って収益目標がとても高くなり、銀行全体がお客さまのニーズにいかに応えるか、という視点よりも、いかに大きな収益を稼ぐか、という視点に急激に変わっていく感覚がありました。そうじゃないだろ、自分の本当にやりたかったことは、って。

長南 私も心掛けるというか性格なのかもしれないのですが、田島さんも常に人や物事に対してフェアでいることが大事なのですね。それが、想いを持って夢に向かって頑張っている経営者であれば、尚更ですよね。私も、監査法人で大企業も担当させていただきましたが、ベンチャー企業や起業家を応援していたのは、そうした想いからです。イケイケの中、様々な落とし穴があるので、それを事前にアドバイスさせていただいて、脇の甘さからつまずいてしまうのを防ぐ感じですね。

田島 そうですね。経営者のために本質的に役に立てる仕事がしたかったのですが、当時の銀行では徐々にそれが難しくなっている感じがありました。

また、自分が信頼している経営者が新規事業などの新しいチャレンジをする際に融資の相談も数多くいただいたのですが、自分の実力がそもそも不足していたことや、そのお客さまに(新規事業における)実績がまだないことから融資の稟議をなかなか通せずにいて、融資というビジネスモデルの限界を感じ始めていたことも、ちょうどその時にご縁をいただいたサイバーエージェントへの転職を後押しするきっかけになりました。

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